大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松地方裁判所 平成4年(行ウ)3号 判決 1993年11月08日

原告

中村春子

右訴訟代理人弁護士

藤原修身

生井重男

被告

地方公務員災害補償基金香川県支部長

平井城一

右訴訟代理人弁護士

田代健

主文

一  被告が原告に対し昭和六二年三月一七日付でした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  中村正一(以下「正一」という。)は、地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)の適用を受ける地方公務員で、高松市環境部清掃工場業務係長の職にあった昭和六一年一月一二日午後一一時三〇分ころ、原告肩書地の自宅で頭部の激痛と足のしびれを訴えて昏倒し、意識不明となり(以下「本件発症」という。)、同月一七日午前六時二三分、意識不明のまま脳幹出血のため死亡した。

2(一)  正一の妻である原告は、昭和六一年二月三日、被告に対し、正一の死亡について、地公災法による公務災害認定の請求をした。

(二)  被告は、右請求につき、昭和六二年三月一七日付で公務外の災害との認定を行い(以下「本件処分」という。)、原告に通知した。

(三)  原告は、本件処分を不服として、地方公務員災害補償基金香川県支部審査会に審査請求をしたが、平成二年一〇月三一日付で棄却され、地方公務員災害補償基金審査会に対してなされた再審査請求も平成三年一〇月三〇日付で棄却の裁決がされ、右裁決は同年一二月二〇日、原告に到達した。

3  しかし、本件発症により正一が死亡するに至った経緯等は次のとおりであり、本件発症は公務に起因するものであって、正一の死亡は、公務上の災害であるのに、これを公務外とした本件処分は違法である。

(一) 正一は、昭和三六年七月、高松市に正規職員(事務吏員)として採用され、以来二二年間一般行政事務の部門において、一般事務職の勤務時間制(平日は午前八時三〇分から午後五時まで、土曜日は午前八時三〇分から午前一二時三〇分まで)の職場で勤務を続けていたが、昭和五八年六月から本件発症まで高松市環境部清掃工場業務係長として勤務した。高松市清掃工場(以下「清掃工場」という。)は、本件当時、同市内の家庭、事務所等から収集されてきた一般廃棄物を焼却し残灰を除去する業務を行っており、業務、管理、庶務の三係が設けられていたが、業務係は、プラント(工場施設)の運転及び補助機械の点検、調整、補修並びに記録に関する事務を分掌していた。業務係は、四班に分かれ(各班は六名で編成)、正一は、業務第一係長として、第一班の班長を務めた。正一にとって、清掃工場での勤務はこれまでとは異なり、深夜勤務を含む三直四交替勤務(午前七時三〇分から午後三時三〇分までを一直、午後二時三〇分から午後一〇時三〇分までを二直、午後九時三〇分から翌日午前八時までを三直という。)という特別な勤務形態であり、正一は、ごみ焼却業務の責任者として、部下を指揮監督するとともに、自らも交替制勤務の一員としてその業務に従事し、常に精神的、肉体的負担が積み重なっていった。

(二) 当時の清掃工場は、一般的な耐用年数の一五年目に入っていてその設備は老朽化しており(昭和六三年三月ころ以降は使用されていない。)、清掃工場での職員の作業は、甚だしい騒音、塵埃、悪臭と激しい温度差の中で行うことを強いられるうえ、休養室、仮眠室の設備も不完全で、職場環境は劣悪であった。即ち、騒音については、大型送風機の送風音やクレーン操作時の衝突音等により、平均七〇ホンを超える作業室もあり、仮眠室での休憩もできる状態ではなかった。作業室間の温度差も大きく、本件発症当時の冬季には、約四五度Cの集塵室と約五ないし六度Cの井水処理室や排水処理室とは約四〇度Cの高低差があり、これら作業室を往復して作業に従事しなければならなかった。また、悪臭も甚だしく、塵芥の腐敗による硫化水素、アンモニア等が発生し、手作業での処理を要する塵芥除去の際等に作業員の下着類まで悪臭がしみついて抜けない状況であった。

(三) また、清掃工場の仕事は、正一の有していなかった電気等に関する専門的知識や技術を要するものであり、老朽化に伴い故障も多くなっていた工場設備の操作には熟練職員に頼るほかないことも多く、同僚や部下職員に気兼ねしながらの勤務には精神的負担も多かった。こうした厳しい職場環境や作業実態の中にあって、正一は仕事熱心で責任感も強い性格のため、いつも所定の就業時刻三〇分前には勤務して、前直者からの引継ぎを入念に行うほか、ほとんど年次有給休暇もとらずに勤務に従事していた。

このように、正一の清掃工場における平常業務は、過重なものであった。

(四) 正一は、昭和五二年一〇月以降昭和六〇年一〇月までの間、高松市職員について、毎年少なくとも一回実施される健康診断において、一般定期検診では常に正常であり、成人病検診では、高血圧であることが指摘されたものの、勤務は可であった。正一が、高血圧症で治療を受けたのは、昭和五九年四月、五月の各一回のみで、その後治療を受けていない。正一は、酒は殆ど飲まず、煙草は全く吸わず、コーヒーは一日一杯程度で節制ある生活を続けていたもので、特に、食事については、塩分を控え目にしたり、脂肪分の少ないものにするなど家族ぐるみで高血圧症対策の努力をしていた。

(五) 清掃工場は、例年、年末年始が最も繁忙な時期であるが、本件発症の直前は、正一は平常通りの深夜勤務を含む夜間勤務を続けたうえ、前記のような平常業務に加えて、昭和六一年一月七日から同月一三日までの間に五日間の第七次法制執務研修(以下「研修」という。)への参加を命じられ、前記のような高血圧対策を採ってきた正一にとって、この時期の勤務が過重勤務となって致命的な結果をもたらすことになった。本件発症一か月前から本件発症直前に至るまで正一の勤務状態は次のとおりであった。

(1) 正一の本件発症前一か月の勤務状況は別表一のとおりである。

なお、清掃工場の業務は年末年始が忙しく、特に、年始は一年中で最も忙しく、昭和六一年の年始も同様であった。しかも、この年の年始は清掃工場にある二つの炉のうち一号炉が故障箇所修理中で使用できなかったため、焼却量減少に苦慮しながらの操業を強いられた。

(2) とりわけ、昭和六一年一月七日以降の勤務は、別表二のとおりであり、清掃工場の勤務に加えて研修が課された。即ち、一月七日は本来の勤務時間内の研修であったが、一月八日から一〇日まで本来の勤務外の時間に研修に参加した。一月九日、一〇日はいずれも夜勤明けに研修が設定されており、とりわけ一〇日は非番日であった。そして、一月一二日は午後一時三〇分から午後一〇時三〇分まで清掃工場勤務の後、午後一一時ころ帰宅し、翌朝午前九時からの研修の予習中に昏倒し、本件発症に至ったのである。

(3) 正一に課されていた研修の内容は、法制執務研修という特別研修であり、講義に演習を交えるものであった。正一にとり、清掃工場の日常業務とは無関係なもので特別の負担となっていた。また、一段に職員が研修に参加する場合には、職務専念義務が免除されるのが通常であるのに、正一に対してはそのような措置もとられていなかった。

(六) 右のとおり、正一は高血圧症であったが、本件発症の直前の経緯等からしても、正一の本件発症が過重な勤務によることは明らかであり、健全な社会常識に基づく一般的経験則によれば、公務上のものというべきである。

なお、仮に、公務起因性の認定基準について、後記被告の主張2記載のような認定基準によるとしても、本件の場合、正一の本件発症は公務上のものと認定されるべきである。

4  よって、原告は、被告に対し、被告のした本件処分は違法であるのでその取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、正一の身分関係、正一が原告主張の日時に死亡したこと認め、その余は不知。

2  同2の事実は認める。

3  同3全般につき本件発症が公務に起因するものであるので、これを公務外とした本件処分は違法であるとの主張は争う。

(一) 同3(一)の事実中、正一が事務吏員で高松市役所において原告主張の経歴を有すること、本件発症当時清掃工場業務係長の職にあったこと、自らも交替制勤務の一員として業務に従事していたことは認めるが、常に精神的、肉体的負担が積み重なっていたとの点は争い、その余は不知。

(二) 同3(二)の事実中、清掃工場が現在使用されていないことは認め、その余は不知。

(三) 同3(三)の事実中、正一が年次有給休暇をあまりとっていないことは認め、その余は不知。

(四) 同3(四)の事実中、正一が高血圧症であったことは認め、その余は不知。

(五) 同3(五)の事実中、本件発症前の一月七日から一三日までの間に五日間の研修を命じられたこと、研修が法制執務研修であったこと、(1)(2)のうち正一の勤務状況は認め(ただし、出勤退庁時間は不知)、その余は不知。

研修が致命的な結果をもたらしたとの主張は争う。

(六) 同3(六)の主張は争う。

三  被告の主張

被告が、本件発症を公務外と認定したのは正当である。

1  地公災法三一条、四二条の「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷または疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果関係がある場合でなければならない。右の相当因果関係は、民事上の損害賠償責任の限界を画す相当因果関係とは異なり、公務の遂行に際して発生した災害について、その責任を使用者たる地方公共団体に帰すべきか否かを適正かつ客観的に判断するための概念であって、公務が他の原因に比較して「相対的に有力な原因」であることが求められる。即ち、災害補償制度は使用者の無過失責任を内容とするものであり、その負担も地方公共団体において賄われるものであるから、右に当たらない場合まで公務に内在する各種の危険性の現実化として、地方公共団体の全額負担に基づく公務災害補償の対象とすることは不合理である。

2  ところで、右の相当因果関係の判断を事案に即して迅速、公正に行うためには、労災制度(労働基準法及び労働者災害補償保険法に基づく災害補償制度)、国公災制度(国家公務員災害補償法に基づく災害補償制度)との権衡を保ちながら適正かつ明確な基準によって行う必要があり、地方公務員災害補償基金の理事長通達(昭和四八年一一月二六日付地基補第五三九号)により基準を示しているが、このうち公務上の疾病の認定については、労災制度との権衡を図る見地から、労働基準法七五条二項に基づく同法施行規則別表第一の二(第三五条関係)と同様の内容を求めている。

労働基準法施行規則は、別表第一の二で「業務上の疾病」の範囲を規定し、①業務上の負傷に起因する疾病、②特定の有害因子による疾病(職業性例示疾病)、③その他業務に起因することの明らかな疾病(包括疾病)に分類している。これは、当該業務に当該疾病を発生させる有害因子・危険が内包され、これが現実化した疾病であるかどうかという観点から規定されたものである。正一の脳幹出血のような脳血管疾患は、同表の包括疾病として取り扱われ同表第一の二第九号に対応する前記理事長通達の2(3)シ「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。

脳血管疾病及び虚血性心疾患等は、いわゆる私病が増悪した結果として発症する疾病で、職業性例示疾病と異なり、特定の公務が特定の脳血管疾患を発症させる関係にないものであるが、例外的に、当該公務が精神的または肉体的に著しい過重負荷を生じるものであったため、これにより、脳血管疾患等が明らかにその自然的経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと医学的に認められる場合には、発症に当たって当該公務が相対的に有力な原因であると判断され、「公務と相当因果関係をもって発症したことが明らかな疾病」に該当するものである。

そして、どのような場合に相対的に有力な原因と認められるかどうかについては、労働省労働基準局長通達(昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号)「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「六二年通達」という。)に基づいて認定されるべきである。

六二年通達は、医学的知見に基づいて脳血管疾患等が明らかにその自然的経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと認められる場合を客観的に基準化したものであるが、具体的には、①発生状態を時間的及び場所的に明確にしうる異常な出来事に遭遇し、或いは、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことにより、明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること、②過重負荷から症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることが挙げられており、極めて合理性のある基準というべきである。

3  正一の本件発症前の職務内容及び勤務状況は、日常業務に比較して特に過重な精神的、肉体的負荷を受けるようなものとは認められず、また、その間に本件発症に至るほどの異常な出来事に遭遇したとも認められない。正一の仕事は、深夜勤務を含む交替制の現業職場での勤務といっても、本件発症前に、特に過重な内容のものがあったわけではなく、日常業務そのものといってよい内容のものに過ぎない。

本件発症当時、正一が参加していた研修も一回当たり約三時間の講義を中心とするもので、長く行政事務に携わってきた者にとって全く異質の内容のものでもなく、正一にとり格別重い負担を負わせた形跡は窺えない。本件発症の前に時間外勤務が格別多いとも認められず、昭和六一年一月五日及び六日には休みをとっており、同月一〇日及び一一日の夜には、睡眠を十分とりうる状況にあった。右研修を本件発症との関係で業務の過重性の根拠とすることは当たらない。

正一は、昭和五二年の健康診断時から高血圧を指摘されていたところ、結局、この高血圧症という素因が自然経過的な悪化により、本件発症を惹起したというのが相当である。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実中、正一の身分関係、正一が原告主張の日時に死亡したこと及び同2の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因3の事実中、正一が事務吏員として高松市役所において原告主張の経歴を有し、本件発症当時清掃工場業務係長の職にあったこと、自らも交替制の勤務の一員として業務に従事していたこと、清掃工場は昭和六三年三月ころ以降使用されていないこと、正一が年次有給休暇をあまりとっていなかったこと、正一が高血圧症であったこと、正一は、本件発症前の昭和六一年一月七日から一三日までの間に五日間の研修(法制執務研修)を命じられてこれに参加したこと、正一の本件発症前一か月の勤務状況が別表一の、昭和六一年一月七日以降の勤務状況が別表二のとおりであること(ただし、出勤退庁時間については除く。)は当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一、第三ないし第六、第八、第一一、第一七、第一八、第二〇ないし第二三、第二五ないし第三六、第三八ないし第四三、第四五、第四七、第五八、第六二、第六五号証、乙第二号証、撮影年月日、撮影者、撮影場所につき争いのない甲第五九号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第五〇、第五一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一二ないし第一六、第一九、第三七号証、証人内原輝夫の証言、原告本人尋問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

1  正一は、昭和三六年六月、高松市の臨時職員として採用され、同年七月一日、本採用(事務吏員)となり建設部都市計画課に配属され、その後、昭和四三年七月、都市開発部区画整理課、昭和五〇年六月、総務部資産税課、昭和五五年五月、教育委員会高松市市民文化センターの各配属を経て、昭和五八年六月一日からは環境部清掃工場業務係長として、高松市木太町所在の清掃工場に配属され勤務することになった。清掃工場での勤務までは、通常の勤務時間制(平日は午前八時三〇分から午後五時、土曜日は午前八時三〇分から午前一二時三〇分)の職場であり、正一は、午前八時過ぎに出勤し、残業で週二回位午後九時三〇分位に帰宅することもあったが、あとは定時に帰宅していた。

2  清掃工場は、正一勤務当時、高松市内の家庭、事務所等から収集された一般廃棄物を焼却し、残灰を除去する業務を行っており、業務、管理、庶務の三係があり、業務係はプラントの運転、補助機械の点検・調整・補修、記録に関する事務を分掌していた。そして、業務係は四班(一班はクレーンマン三名、ストーカマン三名の六名編成で合計二四名)に分かれ、正一は、業務第一係長(事務吏員)として、第一班の班長であり、自ら業務係の業務全般を分掌するとともに部下(技術吏員、技術員)を指揮監督する立場であった。勤務は、深夜勤務を含む三直四交替勤務(午前七時三〇分から午後三時三〇分まで(休憩時間四五分)を一直、午後二時三〇分から午後一〇時三〇分まで(休憩時間四五分)を二直、午後九時三〇分から翌日午前八時まで(休憩時間一時間)を三直)であり、その勤務体系は別表三のとおりである。

3(一)  クレーンマンの業務は、次のとおりであり、電気等に関する専門的知識、技術を要求された。(なお、清掃工場の平面図は別紙図面のとおりであった。)

(1) 井水処理装置の点検及び石灰をホッパーへ投入(約二〇分―当該業務を一人で行った場合の所要時間、以下同じ)

(2) クレーン操作前点検(操作盤及び計量装置の異常の有無)(一〇分)

(3) 塵芥を撹拌しながらホッパーへ投入(約二〇分)

(4) バケット、ホッパー室フロアーの清掃(二〇分)

(5) 定例の作業、清掃(クレーン運転者一名を残し、他の二名がストーカマンと共同で作業。内容は、灰出し装置の減速機の潤滑油量の点検、補油、スプロケット軸受けのグリスアップ、ガス冷却用ノズルのチェック、POGMGシリンダー等の配管接続部の油漏れ点検、灰出し装置の減速機、モーター及び操作盤の外部の清掃、ガス冷却塔頂部外周と付近のグレーチングフロアの清掃等多岐にわたる。)(二時間)

(6) 計量記録シートの取出し(二分)

(7) 次の勤務者への引継ぎ(一〇分)

(二)  ストーカマンの業務は、次のとおりであり、電気等に関する専門的知識、技術を要求される点はクレーンマンと同様である。

(1) プラント日誌、運転開始前の記帳

(2) 始業時点検(三〇分)

(3) 点検の結果必要箇所の整備(グレートカッター等のオイルレベル低下に伴う注油(一〇分)、ブラッシングボックス、落下管・落下シュート及びクリンカチャンネルのつまり除去(八〇分)、塵芥汚水槽への流入溝の塵芥等除去用網及びEP下の灰の掃除(三五分)、重油タンクのレベル低下の場合、管理係への連絡、雑務(四〇分))

(4) 定時記録

①グラフィックパネルの記録一時間に一回(計七回×五分)②電気日誌記録三時間に一回(計二回一〇分)③電気集塵装置三時間に一回(計二回一〇分)(ただし、②③ともに三直勤務の場合は計三回)

(5) 定例作業

三名中一名が中央制御室に残り二名で行うが、クレーンマンとの共同作業であるのでクレーンマンと重複する。

(6) プラント操作

塵芥の燃焼状況をモニターテレビで見たり、炉の点検窓で確認しながら次の作業を行う。

①炉内へのエアーの吹込量の調節(常時)②乾燥、燃焼火格子スピード調節によって塵芥の炉内への送込み量の調節(常時)③炉内の塵芥の燃焼状況又は固まり具合によって、グレートカッターを操作し、塵芥を燃えやすくする。(常時)④一時間ないし一時間半毎にクリンカチャンネルのつまり状況及び燃さい落下管の灰等の灰出しコンベアへの搬送状況等を確認し、つまっていれば除去する。(三回×一〇分・ただし、三直勤務の場合五回)⑤炉点検窓枠にたまった灰の除去(一勤務につき二回、五分)

(7) 井水処理装置のPH計に異常があれば、石灰の注入状況をチェックし石灰の目づまり状況により注入が不完全な場合は目づまりを除去する。(二回×五分、ただし、三直勤務の場合三回)

(8) 排水処理装置について管理係が不在の場合(日曜日等)、汚泥の脱水を実施し、高分子凝集剤を解く。(三〇分)

(9) 井水受水槽の水位が低下した場合、市水受水槽からのバルブの操作によって補給する。(五分)

(10) 次の勤務者への引継ぎ前の掃除点検等(五〇分)

①クリンカチャンネルの焼却灰等を灰ピットまで人手により送り掃除②落下管の点検③ブラッシングボックス、塵芥汚水槽及び流入溝の網の掃除④炉室内への散水及び掃除⑤プラント日誌の記録

4  清掃工場の職場環境は次のようであった。

(一)  清掃工場は、昭和四五年三月竣工したもので、一般的な耐用年数である一五年を経過しており老朽化していた。

(二)  騒音については、昭和六一年一〇月一五日高松市公害課測定値によると、中央制御室五六ホン、仮眠室四七ホン、炉室七一ホン、井水処理室七四ホン、FDF室七六ホン、IDF室七一ホンであった。一般に、騒音レベルが七〇ホンになると、血圧の上昇、消化機能の減退、疲労度の上昇等、人体に生理的変調をきたすといわれている。

(三)  作業室間の温度差も大きく、本件発症前二日間の外気温度は、昭和六一年一月一〇日午前三時で2.3度C、同日午後三時で3.9度C、翌一月一一日午前三時で1.1度C、同日午後三時で5.6度Cであったところ、清掃工場内では、同年一月一〇日の測定によると、低い方では、井水処理室五度C、排水処理室六度C、高い方では、集塵室四五度C、炉室二九度Cであり、最大値四五度Cの温度差のある中での作業であった。一般に、低温下での作業は、最高血圧・最低血圧及び脈圧を上昇させ心臓の仕事量を増大させ、高温下での作業は、血圧の低下、脈拍数の増加及び心臓の負担を増大させるといわれている。

(四)  塵芥の腐敗によって悪臭を放ち、悪臭が作業に従事した正一ら職員の下着にまでしみこんで抜けない状態で作業が行われた。特に、地下二階の循環水槽周辺で悪臭がひどく、酸素が欠乏することもあった。悪臭は、主に硫化水素・アンモニア・メチルメルカプラン・スチレン硫化メチルや種々の有機溶剤、化学物質によるものであり、人体の循環器に有害な影響を及ぼすものもあるといわれている。

5  正一は、職場で毎年少なくとも一回行われた健康診断によると、昭和五二年一〇月二一日実施分では、血圧が、一八〇/一〇二(mmHg、以下省略)で高血圧とされ、以後昭和六〇年一〇月九日実施分まで、最高血圧は一六〇から二〇八の間で、最低血圧は一〇〇から一二〇の間で推移しており、ほとんど毎年、高血圧として、B(要軽作業で勤務に制限を加える必要があるもの)と判定され(血圧の検査を受けていない昭和五九年三月と昭和六〇年三月はD(正常)と判定)、昭和五三年と昭和五九年には要治療とされている。正一は、昭和五八年六月の異動で清掃工場勤務となった、仕事に慣れるまで二、三か月は妻である原告に疲労を訴えていた。また、正一は、昭和五九年四月、五月に各一回の合計二回、高松市番町所在の新居胃腸科内科医院において高血圧症の治療を受けたものの、医師から続けて薬を服用すべき旨の強い指導もなかったため、以後本件発症まで治療を受けていなかったが、高血圧症の特段の自覚症状もなく、食事、睡眠、その他も正常な状態が継続していた。正一は、飲酒は殆どせず、喫煙は一切せず、コーヒーを一日一杯程度飲用していただけであり、食事には塩分を控え、脂肪分を取らないことを心掛け、勤務中の食事にもおかずに海草類や野菜を多くした弁当を常に持参する等日ごろから健康保持に配慮していた。また、正一の直系尊属、傍系血属には脳出血で倒れたものはいなかった。

6  正一の本件発症前一年間における勤務状況は別表四、本件発症前一か月間における勤務状況は別表一のとおりである。

年末年始は清掃工場の業務においては繁忙期といわれており、本件発症前一か月においては、正一は年次有給休暇をとっておらず、昭和六〇年一二月二九日と三〇日に各七時間の時間外休日勤務を行っている。

7  正一は、高松市長から昭和六〇年一二月二四日、昭和六一年一月七日から一三日までの五日間の研修の命令を受け、勤務との関係で一時迷ったが結局参加することとし、参考書も購入した。正一の参加した研修は、立法事務についての基本的な知識、技能の修得により執務能力の向上を図る目的で、係長級職員三〇名(正一を含む。)を対象として別表五記載の日程で実施された。なお、正一を除く二九名は、すべて通常の勤務時間帯の職員であったため、研修参加時間中は職務専念義務が免除されていた。第一日(一月七日)は講義のみであったが、第二日(一月八日)から第五日(一月一三日)は、講義に演習を交えて実施された。講義は、テキスト(「条例規則の見方・つくり方」日下千章他著・学陽書房)及びレジュメに添って行われ、重要な箇所等は研修生に指名して音読させた。演習は、問題を与えて研修時間内に研修生に解いてもらい、その後、模範解答を与え、それに添った講義がなされ、研修生を指名して各自の解答を披露してもらうこともあった。

8  正一の昭和六一年一月五日から本件発症直前までの勤務状況等は別表二のとおりである。そのうち、一月九日、一〇日の日程につき、正一は、三直勤務が明けた五〇分後から研修に入ることになっており、九日の研修を終えて帰宅していた間に、妻の原告へ、疲れるので勤務の交替を申し出ようかと話したものの、その申出をせず、翌一〇日の三直勤務を果たして研修に参加した。一〇日は本来非番であった。

9  正一は、昭和六一年一月一二日、二直勤務を終え、7.5キロメートル離れた自宅へ乗用車を運転して午後一一時ころ帰宅し、入浴して体を温めたうえ夜食をとった。翌一三日は本来は非番の日であったが、研修最終日であったので、正一は、これに参加するべく一月一二日午後一一時三〇分ころからストーブをつけない部屋で予習を始めた。しかし、正一は、予習中の午後一一時五〇分ころ、傍にいた原告へ頭部の激痛と足のしびれを訴え、原告が寝室に連れて行き、ストーブをつけて横にならせたが、意識を失ったので、原告が救急車を呼び、翌一三日午前零時四五分ころ、香川医科大学付属病院に搬入され(初診時の血圧は二二〇/一二〇)、CT検査の結果、脳出血(脳幹出血)が確認されたが手術の適応とはならず、治療を受けたものの、意識が回復しないまま一月一七日午前六時二三分死亡した。

10  本件後、高松市では、一直ないし三直勤務に服している職員に日中の研修参加を命ずる場合には、その勤務を宿直から日勤に変えたうえ、日勤の職務専念義務を免除して、研修に参加させている。

三以上の事実に基づき、正一の死亡が地公災法三一条、四二条の「職員が公務上死亡した場合」に該当するか否かを検討する。

「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷または疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果関係が存在する場合でなければならないが、経験則に照らし当該公務に従事したことが相対的に有力な原因として作用し、死の結果を生じさせたことが必要で、また、これをもって足りると解すべきである。そして、当該職員の死亡原因が疾病に基づく場合には、公務が基礎疾病に作用して基礎疾病を急激に増悪させ本来の死亡時期を早める等、公務と基礎疾病が死亡の共働原因となっている場合には、相当因果関係を認めるのが正当である。

右の見地から、本件における相当因果関係の有無について次のとおり判断する。

まず、前掲甲第六号証、成立に争いがない乙第四号証によると、本件の基礎疾病である高血圧症と死亡原因である脳幹出血との関係について、脳卒中(脳出血、脳梗塞等)の危険因子として、年齢、性、遺伝、血圧、肥満、尿蛋白、尿糖、心電図所見、眼底所見、心胸比、糖尿病、飲酒、運動、自然条件等が挙げられるが、このうち高血圧症は脳卒中の重要な発症因子であること、高血圧性脳内出血の直接原因は脳内動脈血管壊死による動脈瘤とされており、高血圧をもつ血管は自然の経年の過程で破綻し易いものであること、高血圧の持続と血管壊死の発生には密接な関係があることが認められる。

正一が、昭和五二年以降継続して高血圧と指摘されてきたこと、正一の本件発症時の年齢(四八歳)及び次のような点からすると、正一の脳幹出血は、あるいは、右高血圧症が自然経年の過程で増悪したものではないかと考えられないではない。すなわち、①正一にとって、清掃工場における勤務自体は、それまでの事務吏員としての勤務とは勤務体系、業務内容等において極めて異質で、専門的知識、技術が必要とされる点で初期の段階では相当な精神的、肉体的負担を正一に強いていたであろうことは推測できるとはいえ、二、三か月で慣れ、清掃工場勤務以来本件発症まで約二年六か月を経ていることからすると、清掃工場の勤務それ自体を過重であるとまでいえないのではないか、②年末年始の繁忙期といっても、正一は、昭和六〇年一二月三一日から昭和六一年一月三日まで及び同月五日は休日であり、同月六日は指定休日であって、右の連休日に休養できたのではないか、③本件発症直前の研修への参加についても、研修内容それ自体、講師による講義が主であり、演習の過程で研修生に発表させることもあったが、正一はもともと事務吏員であり、研修内容が特に過重とはいえないのではないか、昭和六一年一月九日及び一〇日はいずれも午前の三直明けの五〇分後から各同日午前一二時まで研修に入っているが、同月一〇日、一一日の夜は一〇時間程度(一〇日夜)・八時間程度(一一日夜)と睡眠をとるに不足のない時間があり、休養がとれていて、本件発症までの間に疲労はある程度回復していたのではないか、との疑問がある。

なるほど、清掃工場の平常業務にせよ、研修内容にせよ、これらを個別に取り上げるならば、それらを過重負荷であると断定するには躊躇を感ずる。しかしながら、前記二で認定したように、それまでの普通の勤務形態から清掃工場の騒音・温度差・悪臭の存在する厳しい職場環境のもとでの三直四交替という特殊な勤務に替わった正一にとり、二、三か月で仕事に慣れたとはいえ、約二年六か月の相当な疲労、ストレスが蓄積していたと推認できること、清掃工場の業務(しかも、出勤した一月七日以降の年始は繁忙期であった。)に加えて右と異質の研修を命ぜられ、同月七日の研修参加だけ本来の業務を免除されたほかは、同月八日、研修後午後二時から午後六時過ぎまで就寝後三直勤務をし、翌九日、三直勤務明けの五〇分後研修に入り、前日同様午後二時から午後六時過ぎまで就寝後三直勤務を経て、翌一〇日、右三直勤務明けの五〇分後に研修に入るという異常な激務を三日間連続し、その後の一〇日、一一日の夜には、睡眠をとるに不足のない時間があったとはいえ、八日から三日間続いた各三時間の勤務延長後のことであるし、正一の年令からしても一〇日、一一日の二晩の睡眠では十分な休養がとれず疲労が残ったまま一二日に出勤したと想定しても必ずしも不自然・不合理とは認められず、八日以降の期間、正一には疲労が続き、ストレスが集積していたと想定するに格別の支障がないこと、正一は準夜勤務を一二日の午後一〇時三〇分に高温の作業場で終えた後、夜分冷え込んでいる道を乗用車で帰宅し、入浴・夜食後の温まった体をストーブのない部屋におき翌一三日午前の研修に備えた予習を始めてから二〇分後に本件脳幹出血が発症したこと、正一が高血圧症でB判定(要軽作業)であり、本来の夜勤勤務を免除しないままで研修に参加させると高血圧症を増悪させる状況が惹起されるであろうことを予知するのは必ずしも困難ではないのに、職員の健康管理に十分な配慮をすべき責務のある当局者は、研修参加を命じた職員三〇名のうち正一一人だけ職務専念義務を免除しなかったこと、本件発症に至るまでの近接した期間を通じて、他に正一の持病である高血圧を急激に増悪させるべき事由を見出せないこと以上の点を考慮すると、正一の本件発症は、高血圧症の自然経過的な増悪によるものでなく、基礎疾患としての高血圧症が存在したところへ、清掃工場の業務に研修業務が長期間にわたり重なるという過重負荷が加わったためであり、この公務が、相対的に有力な共働原因となったものと認められ、したがって、正一の死亡と公務との間には相当因果関係があり、正一の死亡は公務上のものというべきである。

四以上のとおりであるから、正一の死亡を公務外と認定した本件処分は違法であり、取消しを免れない。

五  よって、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官滝口功 裁判官和食俊朗 裁判官濱谷由紀)

別紙図面<省略>

別表1、3、4<省略>

別表2

別表5

研修日程

月日

内容

時間

1月7日

(火)

法令用語

立法技術Ⅰ

9:00~12:00

1月8日

(水)

立法技術Ⅱ

演   習

9:00~12:00

1月9日

(水)

立法技術Ⅲ

演   習

9:00~12:00

1月10日

(水)

立法技術Ⅳ

演   習

9:00~12:00

1月13日

(月)

演   習

交付手続

9:00~12:00

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例